発達障害を今は、むしろギフトと思える。わが子が「定型」とされる何かからズレていても、恐れないで
2018.07.02
空気が読めない、口数が多い、落ち着きがない、すぐに気が散る、何かに集中すると中断することができない…わが子にこんな特徴があって、心配している人は多いだろう。このところ私の周囲で幼児を育てている人は皆、判で押したようにこういう。「うちの子、保育園で行動が自由すぎるみたいなんです。もしかしたら…」「先生に、マイペースすぎるって言われてしまって。もしかしたら…」
もしかしたら、の後は「発達障害じゃないかと思うんです」と決まっている。他人の子どもの話でも同じ。「すごく落ち着きのない子がいてね、きっと…」「困った子がいるの。たぶん…」発達障害だと思うんだよね、というときは不吉な話でもするような表情になる。
自分のことを言う人もいる。「俺さ、協調性とか全然ないし、思ったことガンガン言っちゃうんだよね。たぶん発達障害だと思う!いや、マジで。あの項目、全部当てはまるもん」それで気軽にこう言うのだ。「テレビに出てるあの人も、きっとそうだよ。おんなじ匂いがするんだよねー」。なぜか特権意識すら感じさせる言いぶりである。どうやら彼の言う発達障害とは「凡人とは違う才能がある・自由闊達でユニーク」という意味らしい。
自分を責め続け、二次障害も引き起こした
そんな人々の言葉を聞きながら、私は毎度複雑な気持ちになる。うーん、そんな不吉なものみたいに言わなくても。ああ、また自己診断かあ。発達障害には色々な種類があるんだけどなあ。ちょっと他人と違うと「発達障害だね!」って安易に言う人、このごろ多いよなあ…。
40歳を過ぎてから、私は不安障害の主治医によって軽度のADHD(注意欠如・多動性障害)であると診断された。その瞬間の気持ちは「もっと早く知りたかったよ!」だった。
幼い頃から、ひねくれ者とか育てにくいとか癇が強いとかわがままとか、姉からは小島家の失敗作とまで言われて、ずっと自分を責めてきた。だけど根性や性格の問題ではなくて、脳の機能障害によって「普通の子」つまり定型発達の人とは違う特徴があるのだと判明したのだ。私の幼少期には発達障害という概念自体が全然知られていなかった。私が「普通の子」に対する周囲の期待に沿わない言動をするものだから、家族も困惑して、当人の心がけとか性根の問題だと思ったらしい。だから厳しいしつけで矯正できると思ったのだろう。家族や先生も大変だったと思う。しかし結果としてそれが私の生きづらさにつながって、摂食障害やら不安障害やらの要因になった。典型的な二次障害を引き起こしたというわけだ。
友達との距離の取り方や会話がうまくいかなかったのも、唐突な行動に出てひんしゅくをかってしまいがちだったのも、時間配分が下手で期限を守るのが苦手なのも、脳みその特徴だったのだ。なーんだ、そうと知っていればもっと自分の扱い方がわかったのに。
診断されて、ようやく肩の荷が下りた気がした。そして初めて自分の特徴を…何をしても悪目立ちしてしまうこの無様な振る舞いを、受け入れることができた。傾向を知って、対策を打つことができるようになった。いまだに失敗が絶えないけれど、このように生まれてきたのだからせいぜいうまくやっていくか、という気持ちになった。以前は、頭蓋骨を開けて脳みそをつかんで放り投げたくなることがあった。脳みそが頭の中でずっと喋っているから、うるさくて仕方がない。でもそのおかげでできることもたくさんある。今はそんな自分を客観視できるようになった。
普通の人がオートマ運転なら、私はマニュアル運転
喋ったり書いたりすることが仕事になったのは、過剰な言葉に押し流されまいとなんとか調教を試みた結果だ。議論の進行やインタビューには、人の気持ちを推し量ることが下手くそだったがために、よく聞いて整理する癖が役立った。人を笑わせたり、退屈させないように話したりすることができるのは、間が悪くてそつなく話すことができないという不全感を抱えてきたからだ。だから、今はこの特徴をわりと気に入っている。専門家が名付ければこれは「軽度のADHD」なのだけど、私にとっては極めて個人的な、目の形や鼻の形と同じように一回きりの生を付与された身体のありようそのものである。だから、私は自分の障害のことしかわからない。たとえ同じ診断名をつけられた人がいても、同じ障害ではない。身体が違うから。つまり脳みそが違うから。だからこれを読んで、すべてのADHDの人が同じように感じていると思わないでほしい。
私の友人に村上由美さんという人がいる。彼女は自閉症スペクトラム障害(ASD)当事者で、言語聴覚士でもある。『アスペルガーの館』『ちょっとしたことでうまくいく 発達障害の人が上手に暮らすための本』『ことばの発達が気になる子どもの相談室』などの著書があり、メディア出演もしている。今まで私は彼女と話したりメールでやりとりしたりしていて違和感を覚えたことが一切ない。彼女は幼い頃に自分の障害を知り、母親の厳しい療育の下で自ら学び、障害を持たない人とのコミュニケーションを成立させる工夫を重ねた。それが、言葉によるコミュニケーションや嚥下に支障がある人にトレーニングやアドバイスを行う医療関係の専門職である今の仕事につながっている。
彼女がこんな話をしてくれた。「普通の人がオートマ運転だとすると、私はマニュアル運転。他の人が見たらパッとわかるものを、私はいちいちギアを入れ替えながら理解していくという違いなの」。これはものすごく腑に落ちた。彼女の実感とは違うかもしれないけど、まさに私もそうやって生きてきたから。というか、みんなそうなのだと思っていた。
他人がいちいち考えない細かいことを考えている
例えば私の場合は、こういうこと。会議の途中で会議室に入ると、たいていの人はすぐに隅っこに着席し、振られない限りは喋らない。私もそのようにするのだけれど、そこに至るまでに「えーと、今喋っているのはどうやら偉い人のようだな。で、聞いている人は偉い人の話にさして興味がないけど興味があるフリをしていて、今よそ者が部屋に入ってきたのに気がついたようだ。どうも、こっちが気になるけど偉い人が喋っているから見ないようにしているみたいだな。ということはここで私が下手に挨拶などしようものなら、みんなの邪魔になるに違いない。ではここはおとなしく片隅に座って黙っていよう、よし、黙っているぞ、いいぞ、黙っているぞ、私は今黙っている!」てな感じだ。
つまり頭の中で指さし確認しながらずーーーっと喋っている。油断するとそれがダダ漏れになるから脳みその見張りを怠らないようにしないといけない。
そうする間にも誰かがペンをカチカチやる音が気になってしまい、誰がやっているのかを突き止めたくなってキョロキョロし、話に飽きてきて足を何度も組み替え、窓の外を眺めてどうでもいいことを考えて、一刻も早く帰りたいと願いながら指をくるくるさせたり、喋っている人がゴールデンタマリンという小動物に似ていることを発見して誰かに言いたくなって悶絶し、他に何タマリンがいたかどうしても気になってスマホで検索してしまい、ゴールデンタマリンじゃなくてゴールデンライオンタマリンだった!と発見して思わず「あ、ライオンが入るのか」と呟いたところを聞きとがめられて全員に白眼視される、といった具合だ。あげ句、ちょっと意見を言ってもいいですかと余計な発言を始めたりする。
小学校のとき、教室で浮きまくっていても…
つまりは激しいギアチェンジの末にコースアウトするわけだが、これがうまくいっているときには何が起きるかというと、誰かの話を聞きながら別の論点を思いつき、それを維持したまま目の前の話を続けてよきところで展開させ、聴衆が飽きてきたところで論点を変えて、だいぶ話が逸れたところでまた元の論点に戻すというのを即興でやるとか、他人がいちいち考えない細かいことを考えているので描写が的確で、物事を説明するときに要約したり詳説したりを自在に切り替えるとかいうことができる。つまりはマニュアル運転だからこそ、言葉の蓄積や思考の道程が豊かなのだ。それがたまたま仕事になっている。
障害は人の体にあるのではなく、それを障害たらしめる環境にあるのだとはよく聞くけれど、私の場合はまさにそうだった。家庭や学校や会社では私の特徴はときに生きづらさにつながることがあった。周囲の理解がない環境では、本人の心がけが原因だとされて、自罰感情が強まる一方だった。でも今は、違う。
長年の工夫の積み重ねと、診断をきっかけに得た知識と、周囲の理解のおかげでこの特徴はむしろギフトであると思えるようになった。今でも時々この「なんにつけ度を越している」という特徴がとても辛いこともあるけれど、もう何が起きているのかを知っているから、以前のように混乱し、いたずらに自分を責めることはなくなった。
しかし「度を越している」ことはそんなに悪いことだろうか。私の周囲を見回すと、そんな人は珍しくない。大きな組織で働いている人、独立して活躍している人、自ら組織を立ち上げた人、専門性の高い仕事についている人、いろんな人がいる。集まって会議なんかするとお互いに平気で話に割って入るしかぶせるし、言いたいことが多すぎるから早口だし次から次へといろんなことを思いつくから話が終わらないし、とてつもない速さと集中力で凄いパフォーマンスの仕事を仕上げたかと思うともう次の仕事に集中してしばらく音沙汰がなくなったり、そして少なからぬ人たちが集合時間にルーズである。だけど物事はぐんぐん進む。形だけの無駄な会議はない。言葉が飛び交い、話が脱線し、新たな発見をシェアし、次々に何か思いついて、持てる知識と経験を差し出し合い、あっという間に人の輪が広がって、でもお互いにそんなこと当たり前だと思って尊敬し合っている。
もしかしたら彼らは、小学校の教室では浮きまくっていたかもしれない。先生からは扱いづらい子と言われたり。だけど、そんな人たちが仕事で実績を積んで、実際に凄い勢いで世の中や人の気持ちを動かしているのを見ると、浮いててよかった!とすら思えるときがある。
風変わりなわが子が心配なら、好きなことをさせればいい
何が言いたいかというと、定型とされる何かからズレていることを、そんなに恐れなくてもいいということだ。風変わりなわが子が心配なら、好きなことを存分にさせればいい。好きなこと、せずにはいられないことはその人を必ずどこかに連れて行く。親が連れて行ける場所より何倍も遠くに。
そして必要な時は、専門家に相談してほしい。診断名がつくことを恐れて、子どもを孤独にしてはいけない。普通でないわが子なんて受け入れられない、という親の気持ちは子どもに伝わってしまう。まさにそのような環境こそが、当人にとっての最大の障害になることを忘れないでほしい。
私には、多様な学びの場を作って発達障害の子どもたちを支援している友人たちもいる。「普通と違う」ことは、世界の終わりではないのだ。
それからもう一つ。軽い気持ちや憶測で「発達障害」を自称したり他人をそうと決めつけたりするのはやめたほうがいい。何かを正しく知ること、丁寧に扱うことは、とても大切なことだ。それがなんであっても。あなたにとってはちょっとした冗談や軽口でも、誰かにとっては大事なアイデンティティーだったり、深刻な悩みだったりする。その想像力を持ってほしい。
どうも今回は長く書きすぎたようだ。だけどようやく言えてホッとした。これが40歳を過ぎてから、自分のことを知った私の話だ。もしもあなたの目の前に一風変わった小さな人がいるなら、そこにいていいよと、ぎゅっとハグしてあげてほしい(感覚過敏のお子さんの場合は、心の中で)。子どもを変えるのではなく、彼らを取り巻く環境を変えるのが、私たちがやるべきことなのだから。